相撲なんてつまらないと言うやつがいたら、それは正しい。
いいか、相撲の話するぞ。
僕ね、もともとけっこう相撲好きだったんですよ。でもね、先場所はほとんど見なかったの。やれモンゴル勢のふるまいなんなん?とか、奴らの上下関係、星勘定ゆるせない、とか、やれ親方衆腐り切ってて協会の体制刷新して隠蔽体質改善しないかぎり見ないよおれは、とかそんなんじゃねえんだよバカ。
断言するけど、マスコミやネット界隈でそういうこと言ってるやつらぜったい相撲ファンじゃないからね。いや、ファンの言うことが必ず正しいと言いたいわけじゃない。ただ、テレビやなんかで“世間の声”として紹介されてきたそういう意見を言うやつらは、だいたいふだんは、いやいま現在も相撲なんかまず興味のない人間なはずで、一方の好角家はみな苦い顔で沈黙してると思いますよ。
そりゃ暴力とか隠蔽体質についてどう思うかと意見を聞かれれば「いやぁ、よくないよねぇ」てな感じで曖昧に答えはしてるかも知れないけどね。おれスノーボーダーだけどオリンピックの制服着崩して現地入りしたらテレビ見てたどっかのババアから不意打ち的にクレーム入ったもんで記者会見開くことになったからとりあえず言っておくよ「反省してまぁす」的に「よくないよねぇ」と言ってはおくけど、同時に喉の奥で小さく「チッ、うるせぇな」だよこっちはよ、ぐらいなもんだよ実際。ネタが古いが。
ははーんどうやらこいつ、相撲協会批判する声に苛立ってるらしいから、協会側の人間だなさては、モンゴル勢の味方だな、アンチ貴乃花だな…、とかもっぺん言うけどそんなんじゃねえんだよバカ!
たぶん相撲協会ろくでもねえんだろなってなんとなく思ってるよおれだって。
でも見なかったか理由はね、そういうボイコットみたいなことじゃなくて、なんか引いちゃったの。その、相撲のプロレス化にね。
なんかさ、卑怯で悪どいモンゴル力士勢、それを苦々しく思いつつも自己保身に走る仲良し老害親方衆、そしてガチと正義を貫くがゆえに鼻つまみ者にされる孤高の貴乃花親方。土俵内外で因縁がうごめき絡み合う初場所、その行方はいかに?
みたいなね。
相撲に、力士に、親方に、取組に、ギミックを入れんな!キャラづけすんな! ということね。
相撲の本質ってのは本来それとは真逆のところにあって、徹底的な没個性にあるんですよ。
だってさ、相撲ってまず、個性的なファッションで戦っちゃだめでしょ。というか服着ちゃだめじゃない。みーんなほぼ裸、究極の没個性。いや、厳密にはまわしつけてるから裸じゃないけどね、ただ言ってみれば、まわしつけてて各々のモノが隠されてるぶん、より没個性よね。
で、おんなじ髪型してね。あんな風に伸ばした髪を引っ張りあげて髪結っちゃうもんだからみんな目じりがデフォルトよりやや上がっちゃって、人相までみな同じ方向へ寄せてんだもの。
で、めちゃくちゃ人数いんじゃん。序の口から見ていくと何時間も西から東から力士が出てきてバチんと無骨にぶつかり合っては帰ってく。そりゃ後半に進むにつれ力士の実力は上がっていくんだろうけど、出てくる人出てくる人、まぁ基本的にみんな同じよ。おんなじ巨体が出ていく出ていく、帰ってくる帰ってくる。行く力士の流れは絶えずして、しかも元の力士にあらず的な。もうね、眺めてるとそういう哲学的な境地に入ってく。神事だし、神秘的と言ってもいい。とにかく取組は、BGM的に流れていくの。だって観客みんな酒飲んでるもんね。相撲はサブでこっち(酒)メイン的な飲み方でしょ、あれ。それが相撲なのよ。
「でもさ、」とか言うやついるでしょうね。
力士のやつら、四股名とかいうリングネームみたいの付けてキャラ立ててんじゃんとか言い出しちゃうやつ。
それも真逆でね。
四股名っていうのは、いかにもな四股名を名乗ることによってその人個人のアイデンティティが消えて“ただの力士”になるという、いわば没個性のため装置なんですよ。古くから伝わる舞踏におけるお面のようなね。知らないけど。すげー適当に言ったけど。
相撲の世界に入って最初に四股名を与えられるというのは、まず「自分なくし」から始めましょうね、ということなんです。まぁ故郷のアムール川にちなんで阿夢露(あむーる)なんてキラキラネームふうのもいるにはいるけど、基本的に外国人だって高見山であり、曙であり、武蔵丸だからね。だって、小錦だよ? まずあのインパクトある風貌を見たら、「小錦」でだけはないと思うけどね。たぶん普通は。
でも、だからなの。インパクトありすぎたからこそ、こぢんまりした感じのする小錦をあてがわれたんだと思うの。
曙も、雰囲気があまりにファイティングな感じだったから、曙なんていう、「ほのぼの」ともちょっと語感が似た名前にされたと思うんだよね。
個性を恐れてるんですよ。ファンも含めて、相撲界全体が。
だってほら、“横綱の品格”とか言うじゃん。“横綱らしさ”みたいなの。あれって要は、徹底的な平凡化ですからね。
立ち合いはまっすぐ立て、がっちり組め、理想は寄り切り。平凡に。やっても上手投げ。
これ、ショービジネスならありえないですよ。その世界のスーパースターに求められる決め技が、「寄り切り」という技ともいえないような技だからね。寄り切り、地味すぎ。
横綱らしさが強さと別ものなのだとすれば、それはつまり、地味さ、凡庸さ、つまらなさを指しているわけで、お相撲さんはみんなそこを目指しましょうね、ということなんですよ。
地味に、凡庸に、なるべくつまらなく、バチんバチんと。
まぁそんな川の流れを眺めるような取組の連続でもね、何日か見ていくと、すこーしずつ没個性の中から素朴な個性が見えてきたりする。こいつ情けない顔してんなーとか、あなたとくにおなかまんまるやね!とか、彼、そんきょの姿勢がいいよね、とか、なんとなーく自分の中だけのほんのりした個性が浮かび上がってくるのね。まあそれは、あんたなんつー四股名してんの…、とかでもいいよ。それで、自分の中だけに妄想で彼らのエピソードづけを始めてみる。こいつぜってー後輩ボコボコにしごいてるよな、とか、こいつはいかにもユトリ世代タイプだ、とか。
そういうのが楽しいの。和食だよね、ほとんど味つけされてないからこそ出汁の風味を感じるよね、的な。分かったかな…。だから、
炸裂するか?黒幕・白鵬の非道なかちあげ!
とか…、余計なお世話だばかやろう!
そういう他人のおすまし汁にケチャップどばーみたいなことすんじゃねーよ。
というのがまぁ、僕の意見です。
で、その先場所だけど、栃ノ心が平幕優勝したとのこと。栃ノ心って(モンゴル勢に比べて)素朴で真面目な努力家だから好感が持てるよね的なネット上の論調は失笑もんだとしても、彼は3年前ぐらいに「グルジアという国を今日からジョージアと呼ぶことにします」という99.9%以上の日本人にとって実感ないはずの取り決めがこの国であったとき、彼が「ジョージア出身」とアナウンスされることで、あっ変わったんだねと実感する機会をくれたという、貴重な力士です。
非常にちょうどいいと思います。あ、グルジア、ジョージアになったんだね、ってこのぐらいのやわーい刺激が、非常に相撲らしくてよかったと僕は思いますよ。